ホウレンソウ+メイシについて

職場で何らかのトラブルが起きた場合、余計な仕事に追われるので実に嫌なものだ。

私としては、上下機関の関係の役割分担のみならず、全職員一人ひとりが今の自分に与えられた役割を明確にイメージし、その与えられた業務に専念すると共に、それぞれの担当する業務上の「伝えるべきことはきちんと伝える」、「確認すべきことはきちんと確認する」ように情報の共有を図れば、業務上のトラブルは未然に防ぐことができるのではないかと考えている。

ここで提案だが、昔の上司からの一方方向の目線での「ホウレンソウ」(報告・連絡・相談)言う言葉があったがそれを止めて、「ホウレンソ+メイシ(名刺)」(報告・連絡・相談+【明】確な役割分担の共有認識に基づいた的確な【指】示)にしたらどうかなと思う。

従来の上から目線でのビジネスモデルでは、もうこの現実では通用しない。

何故なら上司も含め周りの皆が疲れているのか分からないが、上司は何も判断できず、周りの同僚たちも何も提言せずにいる。

結局、早く帰りたいのに、やらないといけない仕事だけが残り、結局は残業代を会社から「ふんだくっている」。

 

でもこれも、皆の暗黙のウィンウインの了解かー!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

います。

「志の完成」と「心の平穏」について

ある人が、「志の完成」と「心の平穏」について、どちらを選択した方がよいのかを問われた…。

師匠は、現役時代の人には前者、現役を退いた人には後者を勧めると答えた。

しかし、師匠は、人は一生を通じて己の良心に恥じぬように生きることが一番大事じゃとも言われた。

どっちでもよい。結局はこの世は夢で終る。しかし、来世で生まれてくるポジションはどうか。その次の来世も…。

己の心をよく観なさい。何を本当に求めているのかを…。

それを信じて、己の良心をいかなる時でも大切に守りさえすれば、来世でも、その次の来世でも、更なる成長・発展・進化を遂げようと…。

 

 

 

 

 

 

煌めきに溢れた万華鏡のようなこの世界!

心が造るこの世界は、まるで万華鏡のように煌めいている。

一人ひとりの心が鏡のようで、それぞれが相手を写し出し、また、相手もこちらの姿を写し出す…。

家にある鏡は、目の前にあるものをそのまま写し出すだけだ。

しかし、人の心が持つ鏡は、透過する光を反射する後ろの銀幕に過去世やこの世で積み重ねてきた心の癖があるので偏って映し出す。

だけども千差万別のそれぞれの心が織り成すこの世界がみんな好きだ!


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過去世から積み重ねた心の世界

自分ではどうすることも出来ないこの世で受ける善悪の運命。

「宿業」とか「宿命」とか呼ばれているもの。

それは、過去世から積み重ねた身・口・意の三つによる善悪の業、いわゆる心の癖がもたらすものと言われている。

因果律」と言う言葉がある。その意味は「すべての出来事は、ある原因から生じた結果のすがたで、その間には一定の必然的関係があり、原因がなくては何ごとも起こらない」ということだ。

この言葉は、主に物理学などの科学的法則を説明する際に基礎となるものだが、心の世界を説明する際にも非常に有効な考え方でもある。

例えば、説明が困難な現象である生まれた時点での出自による社会的、経済的、環境的、身体的、地理的、文化的…などの違いをどう説明するか?

また、宿業、宿命と呼ばれるものをどうやって乗り越える意思や力を得られるか?

それを偶然との言葉で片付けることも可能であるが、それではこの世で悩み苦しんでいる人々を救うことは出来ない。ましてやこの世界を平和にしようとなどとは…。

今まで、お釈迦様がお説きになられた一念三千の法門を修得した方は何人かいられるが、そのお一人の言葉は「過去の因を知りたいと思うなら、その現在の果を見なさい。未来の果を知りたいと思うなら、その現在の因を見なさい」と言うこと。

この「一念三千」の法門の理解・修得は困難である。しかし、この世の皆の幸せを願うなら、先ず、この「心」の世界が過去・現在・未来に繋がっていることを信じることだ。

心の世界の因果律はごまかしようのない峻厳のものだ。因果応報の心の世界…、一見、余計なお世話だと思うがこも知れないがそんなことはない。

人はこの因果律、因果応報の心の世界があるからこそ、悩み、気づき、揉まれて成長するのだ。

また、この因果律は、現在の心の「意識」(意思)によっては、現世での未来のみならず、過去世から積み重ねてきた「業識」や来世の運命までも変えることが出来る可能性を与えている。

「過去の因を知りたいと思うなら、その現在の果を見なさい。未来の果を知りたいと思うなら、その現在の因を見なさい」…。

よくよくこの言葉を考えると、過去も未来も今の状況に関わっていることに気づく。

現在の意思によって過去世から続く心の悪い癖を修正するよう努力すれば、過去も未来も変わっていくと言うことだ。これを「因果倶時」と言う。

その意味は、この現在の心(意思)に過去の因と未来の果がともに同時にそなわると言うことだ…。

(参考:「開目抄」日蓮

「過去の因を知しらんと欲せば其の現在の果を見よ未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ(過去の因を知りたいと思うなら、その現在の果かを見なさい。未来の果を知りたいと思うなら、その現在の因を見なさい)


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「ワートゥヤー」と「わーばぐとぅやー」

私のペンネームは『わーばぐとぅやー』である。意味は「余計なお節介屋」。

子供の頃、周りの大人たちによくこの「わーばぐとぅやー」と言われ叱られのでこの名前を付けた。

正直いって当時は、この言葉(方言)の意味が分からなかった。

身近に知っている言葉の「ワートゥヤー」に照らし合わせて勝手に意味を考えたものだ。

沖縄での「ワートゥーヤー」とは「キノボリトカゲ」のことである。

何時も遊んでいる年長者から「ワートゥーヤー」は「ジューミー」(アオカナヘビ)を食べるとき、お腹の部分だけ食べて、後は捨て行くので、「ワー」(お腹)、「トゥー」(取る)、「ヤー」(者)と呼ばれると聞いた覚えがあった。

そこで私は、叱られる時に言われる「わーばぐとぅやー」を「ワーブクトゥヤー」と聞き違い、ずーっと「ワー」(お腹(=私・我))、「ブクトゥ」(太る)、「ヤー」(貴方)だと思い、「私・我が強く周りの人の言うことを聞かないで勝手なことをする者よ」という意味だと思い込んでいた。

本当の言葉が「ワーブクトゥヤー」でなく、「ワーバグトゥヤー」と知ったのはつい最近である。今まで何度か検索したが言葉が間違っていたのでヒットしなかった。

しかしながら、幼い心で感じた言葉の雰囲気が、本当の意味の「この余計なお節介者め!」と勝手に思い込んでいた「このじゃじゃ馬め!」と案外近いので面白く感じる。

鋭い感性を持つ子供に敬礼…!

野山を駆け回ってワーブクトゥヤーやジューミーを捕ってたあの頃が懐かしい…。

今の子供たちもあの頃のように野山を駆け回っていたらよいな…。(^∀^)

「わーばぐとぅ」の言葉の由来についてネットで調べたので、これが正しいのか分かりませんが…、参考までに付けときます。

 

(参考:「わーばぐとぅ」について(ネット調べ))

沖縄弁は聞いただけではまず意味がわかりません。でも、文字にして古語解釈の手法で単語分析を行うと 意味がわかるものが結構あるのです。
例えば、『わーばぐとぅ』 余計なことというような意味です。どこがどうなって、こうなるか、理解できるでしょうか。…
古語解釈の技法を用いれば、理解ができます。 まず、『ぐとぅ』は『ごと』の揺らぎだと考えられます。
『わーばぐとぅ』→『わーばごと』次に、西の方言系統だと 『ば』は『な』に変更可能です。
『わーばぐとぅ』→『わーなごと』それから、沖縄方言ルールだと 『わー』は『かー』などに変更可能です。(『wa』『kwa』の交換)
ひとまず置き換えると、 『わーばぐとぅ』=『かーなごと』
まったく意味がわかりません。 でも、もっと調べると、『わーばぐとぅ』には 『ぅわーばぐとぅ』という形もあるというのがわかります。
それを入れて考えると、 現れるパターンは 『ぅかーなこと』 『ぅきーなこと』『ぅくーなこと』『ぅけーなこと』『ぅこーなこと』 となります。こうすると、語源に通じる組み合わせが見えますよね?
『ぅけーなこと』 現地で述べられている『ぅわーばぐとぅ』の意味は、『よけいなこと』なのですから、 もっとも発音が近くなる『ぅけーなこと』が 『ぅわーばぐとぅ』の一段上流にある言葉だとわかります。
では、『ぅけーなこと』のさらに一段上流にある言葉は? ……といえば、もちろん『よけいなこと』です。
すなわち、 『ぅわーばぐとぅ』 は、『ょけーなこと』 を単に沖縄弁訛りで口にしただけだったのです。
沖縄弁単語は特殊で、沖縄弁特有のものだと 考えられているように見えますが、なんのことはありません。
東京弁が単に沖縄弁に変換されただけ、というものが結構あるのです…」

 

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人の縁について


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2023.1.3

特に難しいのが、親しい人と縁を断つこと…

断ちたいと思っても、なかなか出来ない…

断ちたい人とは様々な関係を持つている…

夫婦、親子、兄弟、親戚、友人、職場・サークル関係と様々だ…

でも決断を急ぐことはない!

人は互いに縁を通して成長して行く!

神様(?)が与えたこの縁を可能な限り大切にして行く方がよい!

なぜなら自分や相手が変われば自然に縁の内容も変化して行くから…

だから今の縁ある人を大切に…

必ずこの縁に感謝するときがあります…! f(^_^)

…人は生まれたときには何も纏っていないないように見えますが、実は様々な縁を招くものを持っているのかも…

 

(参考:「漢字の成立ち」より)

「縁」の旧字体である「緣」が「衣服のふち飾り」を意味したことにあります。
ツクリにある「彖」が頭の大きなブタを形どっており、大きなブタほどお腹が膨らんでいるため「垂れ下がる」の意味があります。これに衣や布を指す「糸」を組み合わせることで、「衣のへりに垂れ下がる飾り」を表現したといわれています。
ここから、衣と飾りの関係をとらえて「衣服に着けられたもの」、つまり「つながり」の意味へと派生しました。
服の飾りは自然には切れません。何かの衝撃、自ら手を使わないと切れることはないんです。 だから縁は自然に切れることはないんです。
糸は解れることはありますが、解れたらだいたい気がつきます。
だから縁は自然に切れるようなことは成り立ちから見ればわかりますよね? 皆さん縁が解れるような時はもう一度修正できるということにもなりますね(*^^*) 縁は切る側と切られる側がいて切れる訳です。

五気という言葉について

2023.1.3

昨日、正月用の中味汁を作ろうと冷蔵庫から生姜を取り出したら、面白い形をしていたのでテーブルに立ててみた。

両手(足)、両足、胴・頭があり、まるで、トイプードルみたい! (^∀^)

体によいとされる根菜類には、たまに面白い形のものがよく見られる。生姜、人参、大根云々…。大体が人の形ににたものが多い(両手、両手、胴・頭)。

特に薬効があるとされる朝鮮人参などは完全に人の形にしか見えない。

だから根菜類には、天地の気を吸収する特性があるので、体にいいんだと勝手に思い込んでいた。

そこで、この機会に改めて五気という言葉を調べてみた。

ネット辞書の五気の解説では、
五臓の気(心気・肝気・脾気・肺気・腎気)。②五行の気(木・火・土・金・水)。③五方の気(中央・東・西・南・北)。④五種の天地の気(寒・暑・燥・湿・風)。⑤五種の感情の気。喜・怒・欲・懼 ・憂)。
と記されていた。

他にも、五が付く言葉は五大陸、五臓六腑の五臓、五体満足の五体など探せば幾つもある。

また、同じ五つでもその内容には異説が多いらしい。

どうやら森羅万象のさまざまな秩序ある運動の働きをもたらすものを「気」と捉え、便宜的に五の範疇に分類分けしただけで、数字の五には全体を含めた意味があるらしい。

先駆者たちが後進に伝えたかった五の数字に要約した目えには見えない世界についてもっと知りたい。

(参考:「三世諸仏総勘文教相廃立」日蓮

「五行とは地水火風空なり。五大種とも、五薀とも、五戒とも、五常とも、五方とも、五智とも、五時ともいう。ただ一つの物にして経々の異説なり。内典・外典の名目の異名なり。今経にこれを開して一切衆生の心中の五仏性・五智の如来の種子なりと説けり。これ則ち妙法蓮華経の五字なり。この五字をもって人身の体を造るなり」
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