わーぶぐとぅやーの自省録



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2022.12.29
日々の取り留めもない考えや気づきをメモにして残したいと思いブログを開設!

ブログのテーマを「『わーばぐとぅやー』の自省録」した。意味は「余計なお節介屋さんの独り言」とでもなろうか!

おきなわ生まれ育ちの当方、幼少期には周りの大人たちによく、この「わーばぐとぅやー」と言われ叱られたものだ!

当方としては善かれと思い、いろいろなことをするのだが、何時も失敗に終わり、結局はこの「わーばぐとぅやー」の言葉で終るのだった!

自分の評価は自分で出来ないと言われている。故にブログのタイトルには客観的な私の性格を暗示する「わーばぐとぅやー」言葉を取り入れることにした!

(ブログデビューおめでとう!(一人言))

2022.12.29

「蓮池観音」!

当方の家には白隠和尚の「蓮池観音」図を飾っています。当然若い学生が小遣い稼ぎで描いた模倣版と思いますが、なかなか白隠様の直筆の特徴あるデフォルメ気味の菩薩様のお顔が気に入っています(後日掲載予定)。

若い頃の私は、世の中のありとあらゆる人を救うと言われる「観音菩薩」様を何故「音を観る菩薩」と表現したのか疑問でした。だって「音」は見えないでしょう?

しかし、不思議なことに年を重ねるにつれ今まで見えなかったものが見えてくるようになります。それは、周りの人の心であったり、自然の息吹きであります。長生きすることは良いことです!

最近私は、 60歳を過ぎて年金受給開始までの再雇用の身分なので、俗世間を離れた気持ち(思い込み)で良い塩梅で、蓮の池に咲く蓮華を眺める観音菩薩図を見ていましたが、よく見ると右側の岩に何か詩らしきものが書かれています。

「誰道度生願海深 人緣絕處來偷閑」
(誰か道う、度生の願海深しと。人縁絶する処、来たって閑を偸む)

※ 直訳:「菩薩が衆生を救おうとする大願は、海よりも深いと言われている。にもかかわらず俗世間を離れた悟りという心地よい世界に居座り、ゆっくりと休めんでいるとはなんたることか」

今回のブログ立ち上げの立ち所以です。

m(_ _)m