最上級の運気を表す龍の機運について
2023.1.2
陰陽二つの元素の対立と統合により、森羅万象の変化法則を説いた「易経」には、すべての爻が陽である「乾為天」の卦を最初に置いて、龍の機運についてこう記しています。
初爻 「『 潜龍』、用うる勿れ」(己れの優れた能力を外に発現してはならない。)
二爻 「『見龍』田に在り。大人を見るに利ろし」(隠していた能力が外に現れ始めた。よい人に付き従うように。)
三爻 「 君子終日乾乾。夕べまで愓若たれば厲うけれど咎なし」… 「畏龍」(能力が周りの鼻につくようになってきた。危うい立場である。慎重にコツコツと努力を重ねなさい。)
四爻 「或いは躍りて淵にあり。咎なし」…「淵龍」(己れの能力を発揮するには力が充分でない。同じ志を持つ仲間との交流を深めなさい。)
五爻 「『飛龍』天に在り。大人を見るに利ろし」(ようやく能力を発揮する時が来た。周りの賢人を大事にしなさい。」
上爻 「『亢龍』悔い有り」(志はきちんとやり遂げないと後悔するよ。)
整理すれば、①潜龍、②見龍、③(仮)畏龍、④(仮)淵龍、⑤飛龍、⑥亢龍となります。
これから盛んな運気を迎えるであろう若い方々へ、これからの人生をより良くいきるための参考となるよう記します。
なお、一般的に易経は占いのためのものと考えられていますが、本当は荀子が「善く易を為むる者は占わず」言われるように、森羅万象の変化の原理原則を察するために学ぶための書だと思います。
(参考)
基本的に易は、初爻から上爻までの六つの爻を三つの段に分けて、下を地、中を人、上を天の位に見立てます。
また、初爻の位が一番 低く卑しい位であり、上爻が一番高く尊い位です。
社会的権力にあてはめるとピークは五爻の社長等に当たり、上爻は引退後の会長等に当たります。
わーぶぐとぅやーの自省録
2022.12.29
日々の取り留めもない考えや気づきをメモにして残したいと思いブログを開設!
ブログのテーマを「『わーばぐとぅやー』の自省録」した。意味は「余計なお節介屋さんの独り言」とでもなろうか!
おきなわ生まれ育ちの当方、幼少期には周りの大人たちによく、この「わーばぐとぅやー」と言われ叱られたものだ!
当方としては善かれと思い、いろいろなことをするのだが、何時も失敗に終わり、結局はこの「わーばぐとぅやー」の言葉で終るのだった!
自分の評価は自分で出来ないと言われている。故にブログのタイトルには客観的な私の性格を暗示する「わーばぐとぅやー」言葉を取り入れることにした!
(ブログデビューおめでとう!(一人言))
2022.12.29
「蓮池観音」!
当方の家には白隠和尚の「蓮池観音」図を飾っています。当然若い学生が小遣い稼ぎで描いた模倣版と思いますが、なかなか白隠様の直筆の特徴あるデフォルメ気味の菩薩様のお顔が気に入っています(後日掲載予定)。
若い頃の私は、世の中のありとあらゆる人を救うと言われる「観音菩薩」様を何故「音を観る菩薩」と表現したのか疑問でした。だって「音」は見えないでしょう?
しかし、不思議なことに年を重ねるにつれ今まで見えなかったものが見えてくるようになります。それは、周りの人の心であったり、自然の息吹きであります。長生きすることは良いことです!
最近私は、 60歳を過ぎて年金受給開始までの再雇用の身分なので、俗世間を離れた気持ち(思い込み)で良い塩梅で、蓮の池に咲く蓮華を眺める観音菩薩図を見ていましたが、よく見ると右側の岩に何か詩らしきものが書かれています。
「誰道度生願海深 人緣絕處來偷閑」
(誰か道う、度生の願海深しと。人縁絶する処、来たって閑を偸む)
※ 直訳:「菩薩が衆生を救おうとする大願は、海よりも深いと言われている。にもかかわらず俗世間を離れた悟りという心地よい世界に居座り、ゆっくりと休めんでいるとはなんたることか」
今回のブログ立ち上げの立ち所以です。
m(_ _)m